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代案が示せない批判は、批判としても無効である。

これを最近聞いたのは政治討論の時の言葉ではない。 夫婦の会話でもやきとり屋での中年男の会話でもなかった。 月刊誌『明日への選択』(日本政策研究センター刊8月号)に出ていた「こうすれば子供たちは歴史を学ぶ」の記事である。

なんと「代案を示せない批判は、批判としても無効である」は市立小学校の齋藤武夫先生が歴史教育で小学生に教えてきたことであるという。 「歴史」と聞いただけで、「あぁ、つまんない」と思わないだろうか。 ましてや、学級崩壊(?)の小学生が相手。 ところが齋藤先生は 「私ならこうするという授業をつくり、その授業で子供がこう育ったという事実をつくらない限り、プロの教師として失格だと思った」とある。 すごい自信。まさかと思った。 そこで改めて齋藤先生の著書『学校でまなびたい歴史』(産経新聞社発行・扶桑社発売)を読んでみた。

実際の授業では、「歴史人物を何人知っていますか」とか「自分の系図を書いてみましょう」で始まる。 そして「まずお父さんとお母さんの名前を、次におじいちゃんとおばあちゃんの名前を四角の中に書きなさい」というと、子供たちはさっと鉛筆を動かし始める。

しかし、すぐざわめきが起きてくる。 父母の名前は全員書けるのだが、ほとんどが四人の祖父母の名前すべては書けないからである。 祖父母と同居している児童は少ない。 「自分の系図を書いてみて、どんな感想を持ちましたか?」と聞くと、 生徒「お父さんやお母さんを生んでくれた人なのに、その人の名前を知らないことに気がつきました」 生徒「家に帰ったら、名前を聞いて系図を完成したいです」 先生「そのプリントをいったん家に持ち帰ってお父さんやお母さんに聞いて完成させることにしましょう」 そんな会話から祖父母は必ず4人、曾祖父母必ず8人、倍々と増えていくことを確認する。 しかし一世代30年とすると、源頼朝がいた今から8百年前の鎌倉時代まで遡ったらなんとご先祖様が1億3千万人いたことになってしまう。 ところが当時の人口は7百万人くらいだったと考えられている。 「何故?」「何故?」 両方事実としたらどう説明すれば良いか? 深く考えさせながら、「縦の繋がり」に興味を持たせていく。 そして大きな歴史の分かれ目には明らかに進路が二つ以上あって、その中から先人はこういう選び方をしたということを追体験させる。そのために子供たちを二組に分けて討論するディベートへ誘う仕掛けづくりをする。 そして具体的な授業として、仏様か神様かの「聖徳太子」や、西洋とどうつきあうかの「鎖国」、廃藩置県に賛成か反対かの「明治維新」。そして東京裁判の「公平な裁判とは何か?」等、68時間で小学生がディベートしながら「『わが国のあゆみ』の大きな物語」を考える楽しみを味わっていくのである。


『学校でまなびたい歴史』

そして歴史授業を終えて書いた生徒の文。 「(前文略)でも、アメリカはそれ以上に強く、原子ばくだんを落としてきた。 たくさんの人々が亡くなり、たくさん人が悲しんだ。 私は戦争だけはしたくないと思っている。でも、この時代の人々がもう戦争はしないという気持ちを日本国民に伝えてくれたから、私も戦争をしないという気持ちを持てたのだと思う。 歴史を勉強して一番大切なことは、自分の考えを持つことだと思った。それぞれの時代にすごく意味があって全て今につながっている。それを忘れてはいけないと思った。 歴史は今も進み続けている。このままずっと日本の歴史が進み続けてほしい」と。

ディベートしながら学ぶ「『わが国のあゆみ』の大きな物語」を土台にした、今までにはない史観!!もやもやしたものが、すっきり見えてくる。しかも面白くて、考える力を育てる齋藤武夫先生の歴史教育に脱帽。 ぜひ1400円使い、『学校でまなびたい歴史』のご一読を!!(記 2003.10)

「『わが国のあゆみ』の大きな物語」と名付けられた、 齋藤氏による日本歴史の時代区分は、非常に画期的!! ──────東京大学教授藤岡信勝氏

(前文略)七月末に、齋藤武夫氏の著書『学校でなまびたい歴史』(産経新聞社発行・扶桑社発売)が出版された。 読んでくださった方々からは高く評価され、一か月あまりで三刷に達している。この本は、自由主義史観研究会副代表の齋藤氏の個人の著書であるとともに、研究会の研究活動を集大成するものにもなっている。同書によって私たちは、古代から現代にいたる日本歴史を教えるための教育内容の全体像をはじめて提案することができるようになった。 特に、「『わが国のあゆみ』の大きな物語」と名付けられた、齋藤氏による日本歴史の時代区分は、非常に画期的なものである。従来の歴史教科書などの時代区分は、人類の歴史を「経済的社会構成体」の段階的進化とみなし、その中での「階級対立」の継起的発展として把握するマルクス主義歴史学の影響を完全には脱しきれておらず、そのシッポをどこかに引きずっていた。齋藤氏は、そうした従来の通念からまったく自由になって、中華文明と西洋文明という二つの文明との出合いと格闘のなかから、二回の国家形成をなしとげた歴史として、日本の歴史を次の五つの時期(五つの物語)に区分した。

国家以前・民族文化の基層形成の物語【縄文時代】中華文明との出合いと古代国家建設の物語【弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代】中華文明と距離を置いた日本の自己形成の物語【平安時代・鎌倉時代・室町時代・戦国時代・江戸時代】西洋文明との出合いと近代国家建設の物語【幕末から明治時代】世界の中の日本の自己形成の物語【大正時代・昭和時代・平成時代】

ただし、齋藤氏の場合も、これら五つの時期区分に即して、小学校六年生の六十八時間分のすべての授業が完全に満足の行く形でできあがっているわけではない。(後文略)

※この藤岡教授の文章は『月曜評論』のマンスリー・ノート・45に掲示されています。

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