元文部大臣、有馬氏の「『ゆとりの教育』批判はお門違い」(日経ビジネス2000年10月9日号)を読んだ。
私は、学校という所は集団生活を通して「思いやり」「気力」「体力」「知力」「努力」を体得するところだと思っていた。 文部大臣ともなれば「今はキー1つで世界中の情報がすぐ得られる時代。 それをどう分析し、どう役立てていくか」「日本人はどうあるべきで、それにはどう教育環境を整えるべきか」などの強い問題意識を持っていると思っていた。 この一文によると、氏の信念は「義務教育のゆとり教育」と「大学での教養課程」であるという。
しかし、 「なぜ、ゆとり教育が必要で、批判はお門違いか?」
「なぜ、大学は教養課程が必要か?」の答えは、何回読んでもわからない。
氏によると、教育の成果は「学力」であり、それを測る全国規模の学力調査をせよ、とある。
それなら、民間の「予備校」「塾」が最も得意とするところである。 有馬氏の肩書きは、世界的原子核物理学者・元東大学長・元文部大臣・国際俳句交流協会会長も務めた俳人でもあるという。しかし、これらの肩書きを知らせず、この一文を誰か中学生にでも読ませてみると面白いと思う。
この一文は、「知識」と「知恵」を混同し、教育現場も知らず、教育に情熱もない人が、自分を批判されて反論しただけ、と私には思えた。私は有馬氏も東大も自民党もよく知らない。
しかし、この一文に関する限り、氏を東大学長にした東大と、文部大臣にした自民党を早急に解体しない限り、日本人の未来は退廃の一途をたどるのでは、と思った。
看板とホームページを出してみて…「なぜと夢」シリーズNO.2-2へつづく
(記 2000.01)